アメリカ会社員のビジネス英語と生活 blog

アメリカの会社、ビジネス英語とマインドフルネスや心身の健康について書いています。

失われた自分軸が不安の原因?

生きずらさ、あるいはスタック感、毎日に対する重たい感じ(曇った感じ)、焦燥感などは、結局のところ自分軸を失ったからなのではないでしょうか?ふとそう思いました。

自分がどんなことに疲れるか、どんな時に心配して嫌な気分になるかなどを考えてみました。そうしたら、自分の思考が原因でした。自分の思考とは、相手にネガティブにとらえられる、グループのなかで働きにくい思われる、つまらない奴だと思われる、効率が悪いと思われるなどといった他人や社会にダメ評価をされることへの恐怖です。実際にはまだ起こっていないことに気をもんでいる状態です。

若い時はこういう心理が、認知されるスキもなく、それに戦うためのエネルギーに変換されていたのかもしれません。きっと今は頑張り時とおもって頑張ってこれたのかと思います。それがアラフォーともなると、そういうやり方をしていると「頑張り時に終わりがない」ことに気付いてしまって、先が真っ暗に見えてきてしまいました。まずい、やり方を変えないと、と。

 

私の言う自分軸が失われているというのはもう少し具体的にはこういうことです。

  • 自分が思い込んでいる世の中のStandard (スタンダード)に基づいて行動や生活を判断している。
  • 自分に十分なResources (リソース)を与えられていない。

自分の思い込んでいるスタンダードとは、こうあるべき/普通、というものです。よく人と比べるといわれますが、実はある特定の人と自分を比べるというよりも、自分の思い込んでいる”こうあるべき”を総合したものが頭の中で擬人化されていて、それを判断基準にして自分をジャッジしているという感じがします。このクセは無意識におこっているので、もはや私の大脳辺縁系かなにかにプログラムされていると思われます。

リソースとは、自分の能力を発揮するために必要なリソースであり、たとえば生活の快適性(十分な休息、栄養、運動、フレッシュな空気等)を保つリソースであり、あるいは十分な時間、興味を楽しむ等です。いつも思い込みスタンダードに打ちのめされていると、頭の中は心配と危険がいっぱいで、緊張/戦闘状態。そのためにリソースを与えることがおろそかになってました。家がちょっと散らかってきたとか、食事がワンパターン化してきたとか、雑務に追われているとか、気づいたら洋服や靴がくたびれていたとか。毎日の生活の基本的なところをメンテするのは結構な仕事量で、心の余裕がなくなると追いつかなくなっていました。自分の能力が発揮されるのは、自分に必要なリソースが与えられているときです。リソース不足では本当に話にならないのです。

 

自分軸を押し通した最近の経験:

最近の社会は、クイックに物事を把握して、パーフェクトでなくても大体OKレベルの結果をまずクイックに出す、そしてそれを関係者ともんで(チームワーク)引き上げる、というフットワークの軽さが求めらると私は思っています。(とくにアメリカは...)

私もそれはわかっていて、タイムライン内に終わらせることに何ら問題はありません。(スタンダードと比較する性格ですので、期限に遅れたことは一度もありません)しかし私はどちらかというとリサーチャー型。時間をかけて深堀りしたり周辺をより調べたりして「うん、納得」としっくりくるところまで行きたいという願望があります。そして想定される質問まで考慮してどんどん調べてしまうことが苦になりません。ここに私の「こうしたい」というレベルと、私の信じる「社会のスタンダード」との間にコンフリクトがあるわけです。

通常ですと、私はそのスタンダードにコントロールされていて、早く終わらせようと自分を焦らせます(=必要な時間リソースを与えない)。ですので結果への自信が低く、それでもそれをプレゼンせねばならず、ストレスでした。そして頭の中は「出来が悪いとおもわれている」という嫌な気分でいっぱい。スタンダードに合わせて行動したつもりが、結果にも満足できず、すったもんだです。

今回は、そこまで詳細を調べる必要がないとわかっていながら、じっくり時間をかけて調査することを自分に許してみました。やはり「スタンダードに反する」という心理との葛藤があったのですが、それでも努めてどうどうと、自分に必要な時間を与えるを貫いてみました。

そうしたら、心もすっきり、調査結果に自信をもてました。自分の結論が正解ではないかもということは、焦ってやってもじっくり取り組んでも存在します。しかしじっくり取り組んだ場合、私のできる限りをしたという気持ちが、安定した自信のようなものを生み出し、間違ってるかもしれないという部分への恐れをうわまったと思われます。(あるいは、間違いを指摘されてもgood pointといってどうどうと受け入れれるような心の安定感。)

過去を振り返ってみれば、私は裏で時間をかけてしっかりプレップした時に良い成果をだしていました。プレゼンがはっきりしていたんです。結論が正しかったかどうかは問題ではなく、自分軸に従って、自分に必要なだけ時間とリソースを自分に許可したら満足して自信を持てたということでした。自信は外からの評価ではなく自分の内側から出るというのは本当です。自信に客観的根拠はなく、自分軸的な満足感/しっくり感によっているようでした。

結論:

思い込みのスタンダードに合わせて行動しても、そのプロセス中ずっと不安でストレス。出来上がりにも自信が持てずに心配だらけ。それならどうどうと、自分軸(自分スタンダード、マイペース)でやった方がプロセス中も結果も心理的にピースフル。(そしてたいていの場合、おそらく他人はそんなことにとやかく言ってこない。)この単純なことがなかなかできないことなのですが、恐怖や心配のほとんどがいかに自作自演であるかということに改めて気づかされました。

もちろん思い込みのスタンダードに合わせてうまくいくこともあると思います。その場合は、きっとそのことについては強い自分のスタンダード(こだわりでもありますね)がないのかもしれません。だからコンフリクトを敏感に察知できることも肝ですね。

 

この世にはびこる自信のなさ、自分を見失った感、お疲れ感などは、authentic self(本当の自分)を押し殺して生きてきて脳神経と体にそプログラムされたことが原因とえるようです。興味深かったGabor Mateのインタビューがあります。

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ビジネス英語22: 英語会議で迷子にならないフレーズ - 理解の確認、ミーティング開始時

アメリカで今の会社で働いて10+年以上たっても英語は不自由な私ですが、それでもアメリカの職場で生き抜くためには、自分がちゃんと理解することと、相手にディスカッションの目的をわかってもらうことかなと、思っています。そこで、ミーティング中に自分の理解を確認するときに使うフレーズと、ミーティングの初めに説明するときのフレ-ズをご紹介します。

[自分の理解を確認する]

  • What I am hearing is...
  • It sounds like.... / Sounds like your sayig ....
  • If I am heaing you correctly,...
  • Let me summarize what I head so far.

自分が理解したサマリーを話す前に言うフレーズです。最初の3つは私自身よく聞くフレーズです。面白いことに一人の人がその3つをよく使うというよりある人は1つ目をよく使い、ある別の人は2つ目をよく使う、というような感覚があります。これらは男女問わず、職位を問わず普通に使われます。この前置きをして自分のサマリーをいうと、相手は注意して聞いてくれて、もし間違っていたら正してくれます。このフレーズを言わずに自分のサマリーをいうと、相手は私が理解が正しいかどうかを聞いているのか、単にこれが結論だと述べているのかがわからなくて、どう反応したらよいかわからないようでした、最初の3つはミーティングの最中に万々使ってOK。4つ目もOKですが、あるいはミーティングの終わりのまとめにも使えます。

(What I hear your are saying is ..... というのも同じようなフレーズです。この表現は全く問題なく私も聞く表現です。一方でこの表現をタフなミーティングで使うと威圧的に聞こえることがあるという記事を読んだことがあります。言い方のトーンとか、その場の状況の険しさ次第で挑戦的に聞こえることもあるということだと思います。どんな表現もそういうことはありますよね。私の感覚では、It souds like...というのはいつも穏やかで安心感を与えるような人から良く聞く傾向がありました。Youと言わないところが柔らかいのかもしれません。日本人的には「あなたが言ったことによると...」なんて言ったらちょっと威圧的な気がしますよね(?)。なので私はIt sounds like派です。でも英語圏でのビジネスミーティングでYouということが威圧的というわけではありません。)

 

[ミーティング開始時の説明]

ミーティング開始時にみんなに説明をする(背景、目的、何を今日決めたいのか、緊急性など)ことは非常に大切です。逆に、ミーティングがあったら遅れずに最初から参加することが重要とも言えます。ミーティングは導入が肝!

  • I give you some background....
  • To bring everyone up to speed,...
  • Today's agenda is... / What I want to discuss today are....

やはり、議論するからにはその背景、なぜ必要なのか、どんな目的に今日の結論が使われるのかなどをまず参加者が理解することが大切です。逆に自分が出遅れていて背景説明が欲しい時、I am not up to speed on it. Can you give me some background?と、迷子になってしまう前に聞いておくとよいでしょう。今日の議論はhighlevel(大体、大まか)なタイムライン/プロセスの確認でよいのか、gunanularなレベル(detail = 詳細)なのかなんかも、わからなかったら聞いてしまうというのが良いでしょう。

 

今日は以上です。少しでもお役に立てたらうれしいです。

“自分を愛する”ってどういう意味?

自己啓発や心理関連の話において、”自分を愛する”ことの大切さがよく語られています。でも私には、”自分を愛する”ということの意味がよくわかりませんでした。具体的に、どういう行動や考え方が”愛している”という状態なのか、しっくりこなかったのです。

愛するという言葉は幅広い意味を持ちます。”幸せ”という言葉のように。だから人によって、経験によって、解釈が違うのかもしれません。私にピンとこなかった理由は、”愛する”の事例になるような経験や感覚が私にはあまりなかったから、あるいは思い出せなかったから、なのかもしれません。重症ですね(笑) そんな私ですが、ある行動を切っ掛けに、”自分を愛する”の意味を分かりはじめてきました。そして、それから急速に、自分のためになることが見えてくるようになってきました。その経緯について書きたいと思います。

 

結論から言いますと、自分の身体/身体感覚に近づいたこととが大きな切っ掛けでした。つまり、体を大事にしようと本当に思って、そのように行動し始めたことで徐々に体感が増し、自分の体への愛を感じました。それによって”自分を愛する”が経験的にしっくり理解できました。

 

Storyです:

11月下旬に有休で、日本に一時帰国しました。初めの半分は忙しかったのですが、終りの1週間弱はフリータイム。その時に近所の整体に行きました。

なぜって、私は20+年以上の万年肩こりの上に、ここ5-6年は腰痛や首の痛みが散発して、素人ながらに体の歪みが深刻な状況になっているからです。足もO脚です(泣

初日に診断をうけた結果(スコア)は、その医院のスコア基準で”最悪”。筋肉ガチガチ。首は回らない。左が高い。などなど、自覚していたことですが、客観的に教えてもらって改めてガツンときました。

そこで、その1週間弱の間に4種類のコースを1回ずつやってもらっていました。その時にいろいろと、どう硬いのか、どう歪んでるのかなどお話いただいて、私なりの理解が進んだので、それからストレッチと首肩周りを温めることを真剣に始めました。

アメリカに帰ってからまる一か月間、上半身と下半身のストレッチ45分を一日2回行いました。ローラーも買って背中と肩回りのほぐしもしています。肩甲骨はがしとして肩関節を引っ張ってスペースを開けさせるようなイメージのストレッチも始めました。電子レンジで温めて首回りを温められグッツも入手。(現在は平日は1~1.5回くらいでやっています)

このストレッチ中に、筋肉の感覚に集中しました。呼吸も続けるように意識しました。以前ならYoutubeかAudibleで何かを聞きながらやっていたであろうことを、そういうことをせずに、体と無言の会話を持ちながらやっていました。それである時突然、体への感謝がわいたのです。こんなに悪くしてしまったのにそれでもちゃんと毎日動いてくれたことにじわっと来るものを感じました。ケアしてあげなかったことがどれほどヒドイ行いだったかと、身に沁みました。それがきっかけで、無言で24/7頑張ってくれた体をこれからはケアする、と決めました。

これが私が”愛する”を理解した経緯です。自分の身体へのありがたさを痛感し、実際にケアと無言のコミュニケーションが始まったところから、”本気でケアしたい”という気持ちに至り、そこに”あ、これが愛だ”と理解しました。

ストレッチはまだ続いています。ストレッチから発展してスキンケアもさぼらずに継続しはじめました。最近サンプルで気に入った、香りがよく、肌感覚の優しいものを購入しました。

 

愛が出発地点:

以前は良かれと思って運動したり、瞑想したり、ポジティブ日記する等、色々とやってきましたが、その行動に”自分への愛”がありませんでした。いわゆる”should"、やるべきだからやる、という感じ。だからそれらの行動をTO DO的にこなすことが目的となってしまい、肝心な心と体はそれらに参加していませんでした。こういうことはも10年もやってきましたが、一度も効果が出ませんでした。逆にそれらは”仕事”として私に重くのしかかり、自分を疲労させていました。

良いとされる行動やアイデアをいくら取り入れても、そこに”愛”がなければ効果はない。それが私の学びでした。(本当はやりたいわけではないのにいいことを5つ書き出すことを日課にして(仕事にして)行ったからって、幸せ感が増すわけないですよね)

逆に、愛をわかり始めたら、今の行動をかてにほんのちょっとだけ先にある興味のあるアイデアが見えてきて、それをトライしてみて、という良いサイクルが回り始めています。体に無理をさたり、自分に不毛なことを積み上げ続ける、今までの私の悪習慣が終わりつつあるように思います。

以上、こんな歳(中年)になって初めて、愛を体感することができた私の経緯でした。

カウンセリングの効果、ポジティブの上塗りはもうやめる

内向的に、コンフリクトを避けて、静かに、真面目に生きてきて、それなり”大丈夫”な人生を生きてきたのですが、その代償として、感情や考えというものをコンクリートの中に埋め込んできてしまいました。そんな状態にいたことすら、ごく最近まで気づいていなかったのですが。これが”自分の人生を歩んでこなかった”という意味で、自分が正にそれでした。

感情の出ると受けるは別

自分の感情や思いは、自分から出るのだから、出ればわかるだろうと思っていました。出るのも受けるのも同じ頭だと思っていたのです。しかし実際は、出ると受けるは別の機能。外からの刺激が危険だらけだった幼少期、外からの情報をできるだけ感じない、封じる、という方法を学習して、そのままずっと生きてきたので、本当に自分の思いがわからないのです!これは大変!(笑)

自分の思いを無視するということは自分全否定を前提していること。最近そう理解しました。外から傷つけられることを避けることに全身全霊をささげてきたのです。傷つけられたとか、悲しいとか感じたくなかったので(そうせずにはいられなかった)、自分の感情が何であれ、上がってきたものは封じこめてきのです。

以前までの私の改善策

以前は”がんばって”改善しようとしてきました。精神論です(笑)。いいこと(ポジティブ思考、早起き、ジャーナリング、ギブを心がけるなど)を続ければ習慣になると信じて、そしてそれをいつも中途半端にやめる自分をダメと評価して、頑張って改善しようとしていました。結果として、成功したことは一度もありません。うまくいかなかったり、疲れたりして失敗経験を積み重ねるに至り、もっと自信を無くす逆効果でした。

 

これからの私の改善策

いくら頑張ってポジティブなことを行っても、私の内側がふさぎ込んで、自分を否定し続けていて、緊張で硬くなっていては、何も学びません。You can't fake yourself.自分を無視して表面的にきれいなペンキを塗るようなことをしても続かないのです。苦しいだけでした。だからこれからは、頭で考えて”頑張る”のではなく、自分の内側が自ずと柔らかくなっていくようにさせていこうと思います。

自分にできることは”間接的”な努力。効果や結果を求めずにカウンセラーと話す。自分の緊張や疲れにできるだけ気を配り、気づいたときには休む。5分でもいいから休む。結果を考えずに(楽しいか、得があるかなど)いつもと違うことをやる。小さいことでも一人ででもいいので、外に出て何かをする。何かを食べる、買う。別の仕事を探してトライしてみる。違う服を買ってみる、など。行動の結果、何かを感じるはず。その自分からのフィードバックを感じてみる。そうしたら少しずつ、アイデアが出てくるようになってきました。大したアイデアではありません。でも今まではほぼゼロでしたので、これは改善です。ランダムで価値がなくても、アイデアが出てくるとなんだか生気が戻ってきた感があります。10+年もいたこの場所から出たがってたんだとわかりました。職業にも満足していなかったのですが、若い頃いた原点に戻ろうかなとか、考えが進んできました。

カウンセリングの効果、ポジティブの上塗りはもうやめる

いいカウンセラーを見つけるのは大変です。どんな相手がいいかは各自違いますので知人の紹介だって当たるとは限りません。私は最初の人は全く自分のニーズに合っていなくて、質問を投げかけて話させてはくれるのですが、意外に質問を投げられるとそれにこたえることがこっちの仕事になってしまって、自分の考えを深めることにはなりませんでした。答えずらいことを聞かれ、そのうち相手が気持ちよいように答えるようになったりして(私がセラピストに気を使ってどうする?)、ストレスでした。

次の(今の)セラピストは、多分私のニーズに対して専門ではないと思いました。でも彼女は聞いてくれます。聞いてくれると(質問は少ない)話しやすいし、話すことで深いところにあったものが少しづつ出てきました。だから私は彼女に助けられています。安心してダークなことを話せるというのは、確かにセラピストを相手に話す以外に考えられません!10年、20年前に知っていればよかった。

こうやって自分の中に埋もれてきたものを、人の助けを借りて引っ張り出すことで、内側が柔らかくなり、自分が安心できるようになったら外界にも心が開くはずとおもっています。自力で頑張ってポジティブの上塗りをするのはもうやめます。内側に風穴をとおし、そこから出てくるランダムなアイデアの中で遊ぶという方法をとってみます。きっと子供はこうやって成長していくんだろうな。子供の頃してこなかったその作業を今からやってみるという感じです。

子供の時の心的ストレスが一生ついてくる、小さなこともトラウマになる

思い起こしてみれば私の今までの人生は”がんばって”ばかりでした。頑張ってくれた若い頃の自分のおかげで今があると感謝さえしてしまいます。しかし、一生頑張りとおすことは難しい。40代になると体がついてこれなくなり、それで一旦停止して考えることになりました。

7月のアメリカの祝日の時にIrene Lyonという方のYoutubeにたまたま出会いました。数か月ぶりに開いたYoutubeになぜか彼女のvideoがTopにでてきました。

タイトルにはTrauma, chronic fatigueがありました。数か月前にchronic fatigueを検索したためだと思います。Traumaという言葉に嫌悪感を感じたのですが(自分はそうではないしと思って)、疲労の部分に興味があったので見てみました。

そうしたら、ビックリ。彼女は私の身体状況を何から何まで話していました!

そういう事ってまれにありませんか?そういう時、私はそれが真実なんだと思ってしまいます。意図せずたまたま出会った情報に吸い込まれたわけですから、gutsがそれが正解と判定したんだと思います。

トラウマという言葉に嫌悪感を感じたと書きました。トラウマというとneglect, domestic violence, abuse etcといった非常に過酷な状況に限定されると思っていました。しかし彼女はそれをもっと広げて、あらゆる継続的ストレス(特に幼少期)はなんでもトラウマになると話しています。

そして一言でいうと、幼少期のトラウマは自律神経の失調(dysregulation of the autonomic nervus system) を引き起こし、大人になって気づいて意図的に対処しない限り、その自律神経失調による慢性疾患、慢性疲労あるいは慢性的な精神的に困難な状況(ウツ、ADHD, OCDなど)が一生付きまとうということです。

その理由は、人がストレスに対処する方法はfight, flee or freezeの3つしかなく、幼少期に近くにいる大人や年上の人から継続的にストレスを受けた場合、freezeモードしか選択できず、それは自律神経の迷走神経系が極端に緊張する状態を引き起こし、それがデフォルトのようになってしまい、自律神経の失調を招くのです。

ものすごく短く書きました。興味のある方はIreneのYoutubeをどうぞ。

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Ireneの話により、私の幼少期の問題に初めて目を向けました。本当は嫌で考えたくもなくて長年封印してきたことです。具体的には私の姉と父からの冷たい対応です。これを思い返すとき、いつも大人の脳で思い返していました。いつも「姉妹は喧嘩して当たり前、姉ももっと甘えたかったんだよきっと、父は無口でストレスを内部に抱え込んでたんでしょう」などと、大人の視点から理由つけをして、そうやって流していました。しかし、Ireneがそういうこともトラウマとして身体への影響を残すと説明していたことから、「あの時、小さな私はどう思ったのだろう?」と考えてみました。

そうしたら、それは多大なストレスであり、怖かっただろうし、大変悲しかったと、あの頃の気持ちがわかってきました。あの頃の私には大人が考えるような常識、言い訳、知識がありませんでした。あの頃は家族が全て。そんな家族の数人から、顔を合わせるたびに冷たい、否定的な対応を受け続けて、泣いて、それでも逃げ場がなかった小さな自分。それに初めて気づいて愕然。それから芋ずる式に、なぜ大人になってから今までこんなに社会生活がしんどいのか、なぜこんなに頑張るしかなかったのかがはっきりわかりました。

私は人を、基本的に、傷つけられたという思い持たせる危険因子ととらえている。もし人が他人を-100から+100で判定するとしたら、人は私をまず-50位に見ている。私が彼らを気持ちよくさせない限り、私の点数は決して0か+5にもならない。そういう感じで世の中をとらえてしまっている。そのため、私の神経系は絶えず緊張状態にあり、いつも疲労困憊している。そういうことなのかと思いました。これは私があの頃否定され続けて、それに耐えて生きてきたから。

子供の時のストレスと心的外傷。もし思いつくものがあれば、あんなのは大したことなかったんだとか、自分が弱かったんだとか、今の大人の脳でジャッジせずに、あの時、大人の事情も常識もなかった小さな自分はどう思っただろう?と考えてみると、あの頃を全く違った視点で振り返ることができるかもしれません。

自尊心の問題のルーツ(low self esteem)

自尊心のベースラインが低いところに設定されてしまうと(自尊心が低い)、毎日が不必要にしんどいものになってしまます。私は自尊心を心理的な”安全”域の大きさととらえています。(専門家ではありませんが...)自尊心が低く設定されてしまったということは安全域が狭い、つまり毎日の些細な事の多くが安全域の外側に位置してしまいます。それが原因で毎日が心理的に緊張状態で、心身ともにクタクタになってしまうのです。

クタクタになると、誰でもそうですが、余裕が減ります。つまり安全域が更に小さくなります。なので自尊心が低い状態に設定されてしまった人はこの悪循環の中で何年も、何十年も、辛い思いをすることになりかねません。

自尊心の低い状態の原因は、過去にあった何がしかの経験(一つまたは複数)です。何かが過去に起こったのです。自尊心が低いと多くのことがストレスととらえられますので、人によっては怒りっぽかったり、ウツっぽくなったり、泣いたり、落ち込んだり。それが日常茶飯事になりますので、私はどうかしていると思ってしまいます。しかし、私がどうかしてるのではなく、何かが過去に起こったからなのです。

What is wrong with me?ではなく、What happened to me?という問いかけが必要です。これはこの本を読んでなるほどと思いました。

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自尊心の問題や長期的な心の傷というと、子供の時のトラウマとということがよく話されます。トラウマというとabuse, neglect, violenceといったものすごく酷い経験と考えらてしまいます。しかしここ数年、トラウマというほどひどいことでなくても、例えば親が厳しかった、兄弟が冷たかった、それほどひどかったわけではないいじめ、先生に嫌われたといったような経験が十分、いわゆるトラウマのように脳と神経系に刻まれ、何十年も、あるいは一生、その影響を受けるという理解が進んできています。

辛いことが刻まれると、私たちの脳神経はその辛さをかばってnumb(無感覚)にしてしまう傾向があります。忘れるとか、たいしたことではなかったとしていまうとか、心の奥深くに封じ込めてしまう感じ。そうすると、その問題だけでなく、あらゆることについても感覚が低くなってしまいます。怒るべきところでも自分が不十分だったよねと感情を和らげてやり過ごしたり、良かったこともそれほどのことではなかったと思ったり、そうやって自尊心のセットポイントが低い状態に固定されてしまいます。

自尊心が不健康なほど低いと、もし辛い気持ちでいたならば、トラウマに関する本を読んでみたり、カウンセラーと話をしてみることをお勧めします。

いわゆるトラウマなんて言うほどのことは無かった。私の家族はもう少し私と向き合ってくれたり、受け入れてくれたらよかったとは思うけど、彼らに悪気はなかった。などと思って、心理の深いところに蓋をして隠されてきてしまっていた思いが障害を作っているかもしれないからです。

脳神経が心理的傷を負うということは、過去の出来事に悪気があったかどうかにかかわらず起こります。程度がいわゆるひどいトラウマ的経験よりマイルドであっても起こります。幼少期でなくとも10代の時の経験でも起こります。もし心のどこかに重み、不安を感じていたら、その暗雲がなんであるかを明らかにいして向き合ってください。

私はカウンセリングの2回を行ったところです。昔の記憶がこれまでになくあれこれと浮かんできました。こんなにたくさんの思を押し殺してしまっていたんだと驚きです。Burn outだと思ていたのですが、昨年クタクタになった理由がわかりました。これからもっと黒いものが出てくるのかもしれません。向き合う時がきたのかなと思います。

職務経歴書(CV)を大幅改定, ミドルキャリア, 英語版

アメリカではCVと言われる職務経歴書、アメリカに来て10+年たって初めて本格的に改訂しました。フルに4ページ。大仕事でした。今日は英語で経歴書を書く際のポイントを書きたいと思います。

準備:

  • 過去の仕事、昇進、表彰などの記録があるとベストです。過去の年末の業績評価のドキュメントでもよいです。過去の記録を良く見直して材料を箇条書きにしておきます。年代別、職位別に箇条書きにしましょう。
  • 他のアメリカ人の経歴書を1つ、2つ見て言い回しを把握する。力強い経歴書(ネイティブの立場から見て)を書くためには英語のボキャブラリーの使い方が肝です。

書き始める:

  • 項目
    • Summary (2-3 sentences): 短い文章で最大限にアピール。詳細や具体事例は不要です。ありえないくらいアピールしてください(笑
      • Track record of munerous successful xxxxxx...
    • Professional Experience
      • すべての職歴をリストします。
      • 職位の変遷もMM/YYYYレベルでリストします。
      • 各職位についてやってきたことをリストします。最近の職位の内容が一番大事。職位の低い時のものは高い職位の時のものより少なくてOKです。
      • 職位が上がるにつれて責任が大きくなるのがわかるように言葉を選んでください。
        • 高めの職位
          • I am responsible for...
          • Trained and mentor associates... and completed complex projects within 3 months...
          • Managed...
          • Porivded oversight to...
          • Demonstrated strong leadership
        • レポートを持っていなかった時
          • Achived...
          • Led xxxx project...
          • Submitted and received approvals for...
          • Established a cost-saving XXXX program...
          • Promoted in 3 months by....
    • System Experience
      • 職種によります。業界でよく使われるシステム、ソフトウエアなどをリストします。自分の会社が使うシステムを知っている人は早く即戦力になってくれるわけですので、意外に大事です。
    • Education
    • License, Certificates
    • Major award
    • その他アピールしたい経験(メンタリングや若い世代への教育など)

 

このプロセスからの気づきの1つ:

この経歴書大幅改定のプロセスで気づきがありました。私は人の言うことをよく聞いてしまう傾向があり、受け入れられなかった案件をもう一度、二度と持ち出してさらに深堀りするダイアログを持つ、ということを自分からはしてきませんでした。Sr. Managementが食いついてきて、それを実行していました。沢山交渉事をしてきたのですが、実は自分からごり押ししてきたわけではありませんでした。そんな気づきを持ててよかったと思いました。

 

久しぶりに長期間の経歴をじっくり見直してみて、何をたくさんやってきて、何をこれからすべきかとうアイデアが出てきました。また、自分の弱い点にもきづきました(上記)。一度時間をかけてじっくり取り組んでみることをお勧めします。