アメリカ会社員のビジネス英語と生活 blog

アメリカの会社、ビジネス英語とマインドフルネスや心身の健康について書いています。

失われた自分軸が不安の原因?

生きずらさ、あるいはスタック感、毎日に対する重たい感じ(曇った感じ)、焦燥感などは、結局のところ自分軸を失ったからなのではないでしょうか?ふとそう思いました。

自分がどんなことに疲れるか、どんな時に心配して嫌な気分になるかなどを考えてみました。そうしたら、自分の思考が原因でした。自分の思考とは、相手にネガティブにとらえられる、グループのなかで働きにくい思われる、つまらない奴だと思われる、効率が悪いと思われるなどといった他人や社会にダメ評価をされることへの恐怖です。実際にはまだ起こっていないことに気をもんでいる状態です。

若い時はこういう心理が、認知されるスキもなく、それに戦うためのエネルギーに変換されていたのかもしれません。きっと今は頑張り時とおもって頑張ってこれたのかと思います。それがアラフォーともなると、そういうやり方をしていると「頑張り時に終わりがない」ことに気付いてしまって、先が真っ暗に見えてきてしまいました。まずい、やり方を変えないと、と。

 

私の言う自分軸が失われているというのはもう少し具体的にはこういうことです。

  • 自分が思い込んでいる世の中のStandard (スタンダード)に基づいて行動や生活を判断している。
  • 自分に十分なResources (リソース)を与えられていない。

自分の思い込んでいるスタンダードとは、こうあるべき/普通、というものです。よく人と比べるといわれますが、実はある特定の人と自分を比べるというよりも、自分の思い込んでいる”こうあるべき”を総合したものが頭の中で擬人化されていて、それを判断基準にして自分をジャッジしているという感じがします。このクセは無意識におこっているので、もはや私の大脳辺縁系かなにかにプログラムされていると思われます。

リソースとは、自分の能力を発揮するために必要なリソースであり、たとえば生活の快適性(十分な休息、栄養、運動、フレッシュな空気等)を保つリソースであり、あるいは十分な時間、興味を楽しむ等です。いつも思い込みスタンダードに打ちのめされていると、頭の中は心配と危険がいっぱいで、緊張/戦闘状態。そのためにリソースを与えることがおろそかになってました。家がちょっと散らかってきたとか、食事がワンパターン化してきたとか、雑務に追われているとか、気づいたら洋服や靴がくたびれていたとか。毎日の生活の基本的なところをメンテするのは結構な仕事量で、心の余裕がなくなると追いつかなくなっていました。自分の能力が発揮されるのは、自分に必要なリソースが与えられているときです。リソース不足では本当に話にならないのです。

 

自分軸を押し通した最近の経験:

最近の社会は、クイックに物事を把握して、パーフェクトでなくても大体OKレベルの結果をまずクイックに出す、そしてそれを関係者ともんで(チームワーク)引き上げる、というフットワークの軽さが求めらると私は思っています。(とくにアメリカは...)

私もそれはわかっていて、タイムライン内に終わらせることに何ら問題はありません。(スタンダードと比較する性格ですので、期限に遅れたことは一度もありません)しかし私はどちらかというとリサーチャー型。時間をかけて深堀りしたり周辺をより調べたりして「うん、納得」としっくりくるところまで行きたいという願望があります。そして想定される質問まで考慮してどんどん調べてしまうことが苦になりません。ここに私の「こうしたい」というレベルと、私の信じる「社会のスタンダード」との間にコンフリクトがあるわけです。

通常ですと、私はそのスタンダードにコントロールされていて、早く終わらせようと自分を焦らせます(=必要な時間リソースを与えない)。ですので結果への自信が低く、それでもそれをプレゼンせねばならず、ストレスでした。そして頭の中は「出来が悪いとおもわれている」という嫌な気分でいっぱい。スタンダードに合わせて行動したつもりが、結果にも満足できず、すったもんだです。

今回は、そこまで詳細を調べる必要がないとわかっていながら、じっくり時間をかけて調査することを自分に許してみました。やはり「スタンダードに反する」という心理との葛藤があったのですが、それでも努めてどうどうと、自分に必要な時間を与えるを貫いてみました。

そうしたら、心もすっきり、調査結果に自信をもてました。自分の結論が正解ではないかもということは、焦ってやってもじっくり取り組んでも存在します。しかしじっくり取り組んだ場合、私のできる限りをしたという気持ちが、安定した自信のようなものを生み出し、間違ってるかもしれないという部分への恐れをうわまったと思われます。(あるいは、間違いを指摘されてもgood pointといってどうどうと受け入れれるような心の安定感。)

過去を振り返ってみれば、私は裏で時間をかけてしっかりプレップした時に良い成果をだしていました。プレゼンがはっきりしていたんです。結論が正しかったかどうかは問題ではなく、自分軸に従って、自分に必要なだけ時間とリソースを自分に許可したら満足して自信を持てたということでした。自信は外からの評価ではなく自分の内側から出るというのは本当です。自信に客観的根拠はなく、自分軸的な満足感/しっくり感によっているようでした。

結論:

思い込みのスタンダードに合わせて行動しても、そのプロセス中ずっと不安でストレス。出来上がりにも自信が持てずに心配だらけ。それならどうどうと、自分軸(自分スタンダード、マイペース)でやった方がプロセス中も結果も心理的にピースフル。(そしてたいていの場合、おそらく他人はそんなことにとやかく言ってこない。)この単純なことがなかなかできないことなのですが、恐怖や心配のほとんどがいかに自作自演であるかということに改めて気づかされました。

もちろん思い込みのスタンダードに合わせてうまくいくこともあると思います。その場合は、きっとそのことについては強い自分のスタンダード(こだわりでもありますね)がないのかもしれません。だからコンフリクトを敏感に察知できることも肝ですね。

 

この世にはびこる自信のなさ、自分を見失った感、お疲れ感などは、authentic self(本当の自分)を押し殺して生きてきて脳神経と体にそプログラムされたことが原因とえるようです。興味深かったGabor Mateのインタビューがあります。

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