アメリカ会社員のビジネス英語と生活 blog

アメリカの会社、ビジネス英語とマインドフルネスや心身の健康について書いています。

“自分を愛する”ってどういう意味?

自己啓発や心理関連の話において、”自分を愛する”ことの大切さがよく語られています。でも私には、”自分を愛する”ということの意味がよくわかりませんでした。具体的に、どういう行動や考え方が”愛している”という状態なのか、しっくりこなかったのです。

愛するという言葉は幅広い意味を持ちます。”幸せ”という言葉のように。だから人によって、経験によって、解釈が違うのかもしれません。私にピンとこなかった理由は、”愛する”の事例になるような経験や感覚が私にはあまりなかったから、あるいは思い出せなかったから、なのかもしれません。重症ですね(笑) そんな私ですが、ある行動を切っ掛けに、”自分を愛する”の意味を分かりはじめてきました。そして、それから急速に、自分のためになることが見えてくるようになってきました。その経緯について書きたいと思います。

 

結論から言いますと、自分の身体/身体感覚に近づいたこととが大きな切っ掛けでした。つまり、体を大事にしようと本当に思って、そのように行動し始めたことで徐々に体感が増し、自分の体への愛を感じました。それによって”自分を愛する”が経験的にしっくり理解できました。

 

Storyです:

11月下旬に有休で、日本に一時帰国しました。初めの半分は忙しかったのですが、終りの1週間弱はフリータイム。その時に近所の整体に行きました。

なぜって、私は20+年以上の万年肩こりの上に、ここ5-6年は腰痛や首の痛みが散発して、素人ながらに体の歪みが深刻な状況になっているからです。足もO脚です(泣

初日に診断をうけた結果(スコア)は、その医院のスコア基準で”最悪”。筋肉ガチガチ。首は回らない。左が高い。などなど、自覚していたことですが、客観的に教えてもらって改めてガツンときました。

そこで、その1週間弱の間に4種類のコースを1回ずつやってもらっていました。その時にいろいろと、どう硬いのか、どう歪んでるのかなどお話いただいて、私なりの理解が進んだので、それからストレッチと首肩周りを温めることを真剣に始めました。

アメリカに帰ってからまる一か月間、上半身と下半身のストレッチ45分を一日2回行いました。ローラーも買って背中と肩回りのほぐしもしています。肩甲骨はがしとして肩関節を引っ張ってスペースを開けさせるようなイメージのストレッチも始めました。電子レンジで温めて首回りを温められグッツも入手。(現在は平日は1~1.5回くらいでやっています)

このストレッチ中に、筋肉の感覚に集中しました。呼吸も続けるように意識しました。以前ならYoutubeかAudibleで何かを聞きながらやっていたであろうことを、そういうことをせずに、体と無言の会話を持ちながらやっていました。それである時突然、体への感謝がわいたのです。こんなに悪くしてしまったのにそれでもちゃんと毎日動いてくれたことにじわっと来るものを感じました。ケアしてあげなかったことがどれほどヒドイ行いだったかと、身に沁みました。それがきっかけで、無言で24/7頑張ってくれた体をこれからはケアする、と決めました。

これが私が”愛する”を理解した経緯です。自分の身体へのありがたさを痛感し、実際にケアと無言のコミュニケーションが始まったところから、”本気でケアしたい”という気持ちに至り、そこに”あ、これが愛だ”と理解しました。

ストレッチはまだ続いています。ストレッチから発展してスキンケアもさぼらずに継続しはじめました。最近サンプルで気に入った、香りがよく、肌感覚の優しいものを購入しました。

 

愛が出発地点:

以前は良かれと思って運動したり、瞑想したり、ポジティブ日記する等、色々とやってきましたが、その行動に”自分への愛”がありませんでした。いわゆる”should"、やるべきだからやる、という感じ。だからそれらの行動をTO DO的にこなすことが目的となってしまい、肝心な心と体はそれらに参加していませんでした。こういうことはも10年もやってきましたが、一度も効果が出ませんでした。逆にそれらは”仕事”として私に重くのしかかり、自分を疲労させていました。

良いとされる行動やアイデアをいくら取り入れても、そこに”愛”がなければ効果はない。それが私の学びでした。(本当はやりたいわけではないのにいいことを5つ書き出すことを日課にして(仕事にして)行ったからって、幸せ感が増すわけないですよね)

逆に、愛をわかり始めたら、今の行動をかてにほんのちょっとだけ先にある興味のあるアイデアが見えてきて、それをトライしてみて、という良いサイクルが回り始めています。体に無理をさたり、自分に不毛なことを積み上げ続ける、今までの私の悪習慣が終わりつつあるように思います。

以上、こんな歳(中年)になって初めて、愛を体感することができた私の経緯でした。