アメリカ会社員のビジネス英語と生活 blog

アメリカの会社、ビジネス英語とマインドフルネスや心身の健康について書いています。

自分こそが、実は一番大事な友達

友人がいない、独身だ、孤独感で寂しく不安になる、という話になると、「何を言っているの?自分はいつも自分とともにいてくれるじゃない。自分こそが一番の友人だよ」というような解説がなされることがあります。

これまでは、そういう解説の意味が実感としてよくわからなくて、「でも自分じゃなくて友達が欲しいよ、深く語れる友達がいなきゃ寂しいし不安じゃない?」と思っていました。

しかし最近、自分こそが一番大事な友人だということが理解できて、それによって孤独への不安が和らぎました。あるいは孤独を受け入れやすくなったとも言えます。孤独への不安がゼロになったわけではありませんが、孤独が自分の影のようにいつも私と一緒にいてもやたら恐れる必要はない(=OK)と理解した感覚です。

どうやってそういう理解に至ったかについて書きたいと思います。

  • 私の心にある漠然とした緊張や不安の根本を知る

私の場合は、根本にあるシコリは、自分が”中間層のちょっと上にいる”という状態を常にキープしなければならないという強迫的なほど強い不安があって、それが私のすべてのモチベーションになっていたということでした。意味をお分かりいただけるように少しかみ砕きます。いわゆる経済面での’中間層のちょい上’ということは、収入がある程度なくてはいけません。そのためには、会社員である私は、会社でうまく立ち回れなければなりません。そのためには毎日のタスク、メールの返事、ちょっとした会話にもやたら気を配らなければなりません。また、自分が傷ついたと感じたり、自分が役に立ってないと感じたり等々があると、自信がなくなってうまく立ち回ることへの支障になりますので、そう感じることを避けるために気を配って緊張します。そして疲れます。これは子供の時に作り上げられた生存スキルです。頑張り続けなければ落ちる、落ちたら社会から断絶される、無視される、超みじめだ、それは恐ろしいことだ、という恐怖が子供の頃に自分の中に植え付けられて、それが大木に成長してるわけです。まずこのような分析を行いました。

  • その緊張や不安の根本の実態は私を生存させ、今まで私を安全に導いてきたことを理解する。

この緊張感ゆえに、私はリラックスを知らず、思いっきり遊ぶこともなく生きてきました。それが中年になって体力が下がるとともにmiddle age crisisに至ったわけです。もっと楽しく生きてこれたはずなのに残念、という気持ちでいっぱいです。その一方で、この生存スキルは、私を中間から滑り落ちることを防いでくれていて、そのお陰でそれなりに安全で良い生活が今できているということも事実です。そこを深く理解しました。そうしたら、’辛い、しんどい、どうしたらいいんだろう?’という気持ちから、温かい気持ちになれました。お陰で今まで私はちゃんとやってこれたと。理想的な生き方だったとは思いませんが、でも安全な生活を求めていて、その通りのものを手にしていたと理解しました

  • 自分の中に温かみを感じたら他人に求めなくても良くなる

これは気づいてびっくりして、言うことに躊躇さえ感じるのですが、...いままでは友人に相談相手役になってくれることを求めていた気がします。自分の内面を整理したり、癒したりということは自分の外の人と話すとか、自分の外の物事を使うことでのものによってできるものだと、無意識の領域でですが、そう思い込んでいたと思います。だからカウンセラーも3人試しました。友人が少ない私は袋小路だとも思いました。今思うと恥ずかしくて顔から火が出そうです。今はそれは間違っているとわかりました。自分の心の中のウズウズしたものは、その根本は何だろう?というように自分と向き合うことでゆっくりと理解がすすみ、問題が軽減させていくことができます。そう気づきました。これは自分の中の歪んだ部分ですので、自分で気づいて、理解して、解決する以外に方法はないのです。それはちょうど、足を骨折したら、医者に処置してもらうことはできますが、最終的には自分の免疫系が修復させるしかないのと同じです。自分で治すしかない。それは厳しいようですが、しかし、ヒーリングは自分の外から訪れるという間違った理解から解放され、希望がわきました。

  • 自分の中のゆがみ

先ほど、”自分が傷ついたと感じたり...”というように書きました。考えてみると、自分が傷ついたとは、実は自分が傷ついたと感じたということと同じであることが多いです。自分のしたことを”ダメ”と自分で判定して、そしてそんな出来のわるい自分にガッカリして傷ついた感覚になるのです。つまり、傷ついたとか、ダメだとか、どういうのは大抵は自分の勝手な判断だったりします(他人のジャッジではなかったりする)。これは、「自分は中間よりちょい上でなければならない」という強迫的な不安があるから、そこから滑り落ちないように、自分の中で不安感への感受性を高めているからです。感受性を高くしておけばそれに触れないように一歩、二歩手前で頑張ってその危険を回避できるから。これは一例ですが、自分の中のザワザワ感は、自分で築き上げてきた生存スキル、つまり自分の中にいて私を支えてきてくれた部分が’もたらしてくれているんです。それが肥大化して、今はつらいという状況なのです。そうすると’自分の中で自分を支えてくれていたその部分’が、’今それゆえに辛いなと感じている自分の部分’と別々に見えてきます。そうしたら、自分の中で、その生存スキルの部分に感謝がわき、じっくり語り合えるような思いがしました。そうやって自分こそが自分の一番の友人ということの意味が分かりました。この自己理解やヒーリングのプロセスのお相手役を他人に求めていたというのはなんとも愚かな勘違いでした。

 

そういう経緯で、自分を知りはじめてから(=自分と友達になってきてから)、友達がそれほどいなくても大丈夫と、そこへの不安がすっと低くなりました。何があろうと、自分で自分と向き合うことでやっていけそうだと府におちました。もちろん外部からの情報やカウンセラーさんたちとの会話は、ザワザワの部分がボヤっとしていてなんだかわからないときに、いい質問をしてくれて、そのザワザワを見えやすくするために助けになります。でもいったんその輪郭が見えてきたら、そのあとは他人に頼ることは必要ではなく、自分で何とかできるんだということが安心感をもたらしてくれました。すごく献身的な友人や波長のあうセラピストがいなければ解決できないというような不安から解放されました。私のその部分は、100%の確率でいつも私といて、私と人生を共にして、私を滑り落ちないように守り続けてきた、一番信頼できる人。その案件についての一番の相談役は自分自身。自分の外の友人は、一緒に楽しい時間を過ごすための友人。しっかり区別ができました。